かんちがい

『昔トーレに王ありき』というマンドリン曲がある。
作曲者は、コンラート・ヴェルキ。

学生時代だったか社会人になりたてのころだったか、演奏会プログラムに、ゲーテの詩をもとにした曲である旨の解説と、その詩の概要が載っていた。

昔、トーレに王がいた。
その妹は、死の間際、王に黄金の杯を与えた。
王は形見の杯を大事にし、宴の席では必ずその杯に酒を注いだ。
時が経ち、死期を悟った王は、全てを世継ぎに譲ったが、
妹の形見の黄金の杯だけは与えなかった。
断崖の上の城の広間で、黄金の杯に満たした最後の酒を飲み干した王は、
その杯を海中に投じた。
黄金の杯は、海底深く沈んていった。

うろ覚えだが、だいたいこんな感じだったと思う。

曲自体は重々しく、単独では「まあまあ好きな部類」くらいな感じだが、元になった詩の内容が素晴らしく、それと合致した曲調なのがたいへん良い、と思った。

兄妹愛というか、仲の良い兄妹の情愛が主題と言ってしまうには、じゃっかん重い内容である。

たぶん、この兄妹は、互いへの禁断の恋を自覚しながら胸の奥底に秘めたままそれぞれの職責を全うし、
しかしその思いを断ち切ることはできずに墓場まで持って行った。
互いの気持ちを確認する唯一の絆が、黄金の杯だったのだろう。

たいへん感慨深い内容である。

後年インターネットが普及した頃に、元々の詩の全訳を読みたいと思い、検索を試みたことがあった。
もしかしたら、その詩の元になった伝説なんかもあるんじゃないだろうか、とも思った。

ところが、「昔トーレに王ありき」で検索しても、まったくヒットしない。
マンドリン曲みたいなマイナーなもんではしょうがないかとも思うのだが、ゲーテの詩なのに何故?
曲名と詩の題名で、なんか違ったりするのだろうか?
当時はそれ以上追及するすべもなく、未解決のまま今日に至る。

それが今日、なにげなく思いつくままに曲名をググっていたら、以前に検索をかけたときには無かったある機能のおかげで元の詩にたどりつくことができたのであった。

「昔 トーレに」と入力したところで、

「もしかして : 昔 ツーレに 王ありき」

と、いう表示が出てきたのである。

ああ、そうか。トーレでなくて、トゥーレとかツーレなんだな、と思い、出てきた詩を読むと、

「王妃は黄金の杯を……」

なのである。

他にも、「妃は……」「お后は……」という訳もある。

どっから「妹」? 誤訳か?

それとも、もともと「妹」だったのが、差し障りが(げほげほ)あるから「妃」にしたのか?

と思いきや、森鴎外定型詩にした文語訳

「妹は黄金の杯を 遺してひとりみまかりぬ」

を見て納得。

「いもうと」じゃなくて、「いも」なんである。
「女のきょうだいのうち、年下の者」という意味の現代語の「いもうと」じゃなくて、
「男性から見た親しい女性。妻・恋人・姉妹など」という意味の古語の「いも」。

いや、最初から全部文語だったら間違えねーから……。

というわけで、ゲーテの『ファウスト』に挿入された詩「ツウレの王」または「トゥーレの王」のテーマは、
「秘めたる禁断の兄妹愛」ではなく、「永遠の夫婦の愛」だったらしい。

それはそれで比翼の鳥、連理の枝、素敵な詩ではあるんだが、


最初の勘違いからワタクシが妄想した幻の詩の内容の方が、よりロマンチックだったりしないか?


……しないですか、そうですか。